平安京エイリアン
トリビア
アーケード版平安京エイリアン
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ハードウェアはヘッドオン(セガ)と同じもの(コピー品)で、サウンドのあたりに改造が入っているもの。CPUはZ-80。
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夏休みに開発を終わらせるつもりで始めたら、ハードウェアの表示系などの仕様説明書が無くて、ハードウェアを解析してハードウェア仕様書を作るところからやらなければならなかった。
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プログラムは、数人で手分けしてアセンブラを紙に鉛筆で書いて作った
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できたプログラムをタイピングが得意なメンバーが、
たった1台の開発マシンに打ち込んで、機械語へアセンブルした
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できたプログラムを2KBの紫外線消去型プログラマブルROM
7個に焼き込んで、それを実機に差し込んで動かしてみて、
またプログラムを鉛筆で書き直す、という開発手法だった
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開発は夏休み期間中に終わるはずが、まったく終わらず、
夏休み明けの期末試験が迫ってきてあせった。
結局、夏休みに出来たのは
ハードウェアの仕様解析と基本部分のプログラムぐらいで、
期末試験後の秋休みにがんばって開発した。
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プログラムサイズは14KB当時としては大きいプログラムであった
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アーケード版のプログラムでは、JPE(Jump Parity Even)という普通はめったに使われない命令を利用して効率を上げている
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初期バージョンでは、コインを入れすぎるとスタックが画面の周囲の壁を壊してしまい、そこからエイリアンが画面の外のメモリー空間へ出て行ってしまった
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初期画面で降りてくるUFOの窓の下の模様はモールス符号で
TSG( ー ・・・ ーー・)になっている
エイリアン
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エイリアンのデザインの変遷
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エイリアンの謎
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どこから来たのか?
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何をしに来たのか?
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人間を捕まえると何をするのか?
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埋められるとどうなるのか?
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アミューズメント・マシン・ショー
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アーケード版を初公開した1979年10月19日からのアミューズメント・マシン・ショー(東京・晴海)でテーブル型デモ機で平安京エイリアンを遊んでいた人が、興奮してレバーを持ったまま立ち上がって、レバーでデモ機を持ち上げかけたのを見た担当者が、「これは売れる!」と確信したという話がある。
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会場の外では、「ゲームプログラムの著作権反対! 中小業者には自由にコピーさせろ!」というビラが配られていた。
当時のパソコン
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1976 KUMICOM (TSG)
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1976 TK-80 (NEC) ¥88,500
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1977 Apple II (Apple Computer) $1,298
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1977 PET 2001 (Commodore) $595
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1978 TK-80BS (NEC) ¥128,000
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1979 PC-8001 (NEC) ¥168,000
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1979 (平安京エイリアン)
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1981 PC-8801 (NEC) ¥228,000
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1982 SMC-70 (SONY) ¥228,000
当時のゲーム
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1978 スペース・インベーダー(タイトー)
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1979 ヘッドオン(セガ)
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1979 平安京エイリアン(TSG・電気音響)
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1979 ギャラクシアン(ナムコ)
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1980 パックマン(ナムコ)
電気音響株式会社
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アーケード版を商品化した電気音響株式会社(1948年創業)は、音響部品やアーケードゲームを製造していた企業で、東京大田区に本社があった。1982年9月、村田製作所が電気音響の55%の株式を取得し、傘下におさめた。1989年4月には村田製作所に吸収合併され、消滅した。
東京大学 理論科学グループ(TSG)
その他
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平安京エイリアンは、海外では Digger と呼ばれる。(掘る人という意味)